皆さんこんにちは!
今日は、前から気になっていたキッチンカーのルーツ、歴史について語りたいと思います。
昭和30年代後半からの『高度経済成長』により三大都市圏郊外へとベッドタウンという名の新興住宅地や団地の造成が急激に進みましたが、居住人口の激増に対して即在の商店街やスーパーマーケット、百貨店などが需要を吸収出来ない事態が各地で発生するようになりました。
そこで産み出されたのか本形態のリヤカー、屋台等、キッチンカーや移動販売車を用いた移動販売の手法である。 小型トラックの荷台やマイクロバスの内部を改造し、鮮度保持用のショーケースを並べ、多様な食品や雑貨を扱うため『移動スーパーマーケット』と呼ばれるようになった。地場で複数店舗を構える個人商店や中堅スーパーなどが運営していたものが殆んどで、徒歩や自転車移動可能な近隣に商店街やスーパーの進出が遅れている新興団地を主な商圏とし、あらかじめ巡回する日時やコース、営業場所が設定されており、新居を手にした団塊世代の食品の購入に貢献を果たしました。
また公共投資により各地に生まれた工業団地で昼食用の弁当や軽食と作業用小物を売る、移動販売の『移動スーパー』も現れたが、やがて日本でのモータリゼーションの発展や郊外スーパーの進出、食住一体型の大規模住宅団地開発増加により、昭和60年代~平成初頭までには「移動スーパー」による住宅街や団地への訪問販売の需要は薄れ、新業種「コンビニエンスストアー」定着によりこの業態は最早絶滅も時間の問題となる筈であった。
ところが、全国主要都市圏での「郊外大規模スーパーの飽和問題」と前後して、地方の山間部などで少子高齢化による過疎化が深刻な問題となりかけていた。平成10年度辺りまでは細々と残る路線バスなどの公共交通網のお陰で余り深刻に捉えられていなかったが、バブル崩壊後の長引く不況や『平成の大合併』により地方行政の公共サービスが薄まり、公共交通網の崩壊や大手スーパーの撤退、地元商店街の廃業により発生した「買い物難民」が地方の余裕を無くし、当世代で住民が居なくなる『限界集落』が現実化した事で、再び『移動販売スーパー』が見直されることになりました。
旧移動スーパーからはじまった移動販売の歴史も今では、キッチンカー、ケータリングカー、移動販売車等と呼称され、首都圏でのイベント、お祭り、催事での飲食提供の際にはかかせない存在になっており、又、買物難民対策として復活した移動スーパーは地元で営業している個人商店・スーパーマーケット・コンビニなどで、集落の中心部や特定の民家の軒先で販売を行う。過疎化の進む地方の集落や、路線バスの本数が少ない、撤退するなど交通手段の限られた地域に住む高齢者にとって、今や商品の貴重な入手手段となっています。
皆様いかがでしたでしょうか?
私は、これからも地域社会への貢献度も高く、皆様から必要とされるようなキッチンカー(移動販売車)のレンタルや制作に精進したいと思います。
これからもロイヤルケータリングを宜しくお願い致します。